東京地方裁判所 昭和46年(ワ)6727号 判決 1973年5月17日
原告
渋谷チヨ子
外四名
原告五名訴訟代理人
菅野敏行
菅野美穂
原告ら補助参加人
松戸市
右代表者
松本清
右訴訟代理人
清水昌三
被告
浅草モーター株式会社
右代表者
江野沢富子
被告
日産火災海上保険株式会社
右代表者
大石良世
被告両名訴訟代理人
米津稜威雄
外五名
主文
被告らは各自原告渋谷チヨ子に対し金二二一万三、五五九円、その余の原告らに対し各金一一五万一、七八〇円およびこれらに対する昭和四六年八月一八日から支払い済みに至るまで年五分の割合による各金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は三分し、その一を原告らの、その余を被告らの各負担とする。
この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
原告「被告浅草モーター株式会社(以下被告浅草モーターという。)は、原告渋谷チヨ子に対し金五五一万〇、三六六円、原告渋谷幸男、同渋谷美佐子、同渋谷雄二、同渋谷三郎に対し各金二七一万八、九八四円および右各金員に対する昭和四六年八月一八日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。被告日産火災海上保険株式会社は(以下被告保険会社という。)、原告渋谷チヨ子に対し金三三六万五、三九六円、原告渋谷幸男、同渋谷美佐子、同渋谷雄二、同渋谷三郎に対し各金一六五万八、六五一円および右各金員に対する昭和四六年八月一八日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言
被告ら「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの連帯負担とする。」との判決
第二 当事者の主張
一 原告ら 請求の原因
1(事故の発生)
渋谷輝吉(以下輝吉という)、は、次の事故によつて死亡した。
(1)発生時 昭和四五年一二月九日午後一〇時五分頃
(2)発生地 千葉県松戸市新田四三五番地先路上
(3)加害車 普通貨物自動車(足立四ぬ八〇七号)
運転者 訴外丸岡信昭
(4)被害者 輝吉(歩行中)
(5)態様 右道路を歩行中の輝吉が、加害車に後から追突されて仙骨骨折、肋骨骨折、頭部切創等の傷害を受け、松戸市上本郷一、八七〇番地松戸市立病院で治療を受けたが、翌一〇日午後六時五分ごろ後腹膜腔出血により死亡した。
2(責任原因)
(一) 被告浅草モーターは、加害車を所有し、従業員丸岡にこれを業務上運転させて、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。
(二) 被告保険会社は、昭和四五年四月三日、被告浅草モーターとの間に、加害車につき同被告を被保険者とし保険金額を一、〇〇〇万円、保険期間を同日から一年間とする自動車対人賠償責任保険契約を締結した。従つて被告浅草モーターは本件事故による損害賠償額が確定すれば右保険金額の範囲内で被告保険会社に対し、保険金請求権を有しているものである。原告らは、被告浅草モーターの資力の有無を問わず、同被告に対する右損害賠償請求権に基づき、被告浅草モーターの被告保険会社に対する右保険金請求権を民法四二三条により代位行使する。
仮に、保険金請求権を行使するには、被告浅草モーターの無資力が要件となるとしても、同被告は資本金三〇〇万円の小規模な会社であつて、原告らの損害を一時に支払うほどの資力はなく、原告らは勝訴判決を得ても、被告浅草モーターに対する執行では満足を得ることはできないことは明らかである。
3(損害)
(一) 逸失利益とその相続
輝吉は、大正一一年八月四日生れ(事故当時四八才)の健康な男子であり、厚生省の第一二回生命表によれば今後二五年の余命があり、本件事故に遭遇しなければ、七三才まで生存した筈である。同人は、事故当時まで訴外有限会社鈴木商店(以下訴外会社という)に勤務し、豆腐の製造、販売、配達の職にあつたものであるが、同社には定年制度がなく、また同職種は永年の経験と専門的技術を要するが、肉体的な重労働でなく、視力等を要するものではないから、同人は少なくとも七〇才までの二二年間は就労可能であつた。
(1) 逸失給与現価金一、四七五万五、八九八円
輝吉は、当時一ケ月九万八、九九〇円の給与を得これをもつて妻と四子(原告ら)を養い、しかもうち三子までは未成年であつて学費その他出費の多い年頃であつたのであるから、右の給与を得る為に同人が支出する生活費は一ケ月一万六、〇〇〇円を超えることはなかつた。従つて右収入より右生活費を控除し、月別ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して計算すれば右給与逸失利益の現価は金一、四七五万五、八九八円となる。
(2) 逸失賞与現価金一四五万八、〇〇六円
輝吉が過去三年間に訴外会社から支給された賞与は、昭和四三年度 七月二万五、〇〇〇円同一二月三万円、昭和四四年度 六月四万円同一二月五万円、昭和四五年度 六月五万円である。これによれば同人が昭和四五年度一二月に賞与として受取るべき額はどんなに低く見積つても五万円を下ることはなかつた。
ところで訴外会社は、有限会社とはいうものの、その従業員も一六人であり、松戸市では指折りの豆腐製造販売業者であつて、近年安価で栄養価の高い植物性蛋白源食品として豆腐の価値が再認識されてきたところから、その業績はとみに伸びており今後も従業員に対して年二回の賞与が支給されることは確実でその額は、右業績の伸びからみても低くなることは考えられないから、亡輝吉が今後二二年間訴外会社から支給される賞与の額は年間一〇万円を下ることはない。
この逸失賞与額の現価を、年毎複式ホフマン式計算法により計算すれば金一四五万八、〇〇六円となる。
(3) 原告らの相続
原告チヨ子は亡輝吉の妻、同幸男は長男、同美佐子は長女、同雄二は次男、同三郎は三男であつて、以上が相続人の全員であるから、それぞれ法定相続分に従い、亡輝吉の前記逸失利益賠償請求権合計金一、六二一万三、九〇四円を、原告チヨ子はその三分の一たる金五四〇万四、六三五円、原告幸男、同美佐子、同雄二、同三郎は各々その六分の一たる金二七〇万二、三一七円ずつ、それぞれ相続した。
(二) 葬儀等費用合計金二七万二三九八円
原告チヨ子は輝吉の本件事故死に伴い葬儀費用、追善供養の費用、納骨費用合計金二七万二、三九八円の出捐を余儀なくされた。
(三) 原告らの慰藉料合計金四〇〇万円
(1) 原告チヨ子 金一二〇万円
(2) 原告幸男、同美佐子、同雄二、同三郎各自金七〇万
(四) 損害の填補
原告らは、加害車についての強制保険金五〇〇万円を、それぞれの相続分の割合で受領し、以上の損害に充当した。
(五) 弁護士費用合計金九〇万円
原告らは被告浅草モーターに対し、前記のとおり損害賠償請求権を有するところ同被告は任意の弁済に応じないので、原告らは仙台弁護士会所属の弁護士である本件原告ら訴訟代理人に本件訴訟を委任し、昭和四六年七月一〇日同弁護士会の報酬規定により着手金として金三〇万円を支払い、第一審判決言渡日に成功報酬として金六〇万円を支払うことを約した。
従つて、原告チヨ子にとつて合計金三〇万円、原告幸男、同美佐子、同雄二、同三郎にとつて各合計金一五万円の弁護士費用は何れも本件事故と相当因果関係にある損害である。
4 (結論)
よつて、被告浅草モーターに対し、原告チヨ子は、逸失利益相続分金五四〇万四、六三五円、前記葬儀等費用金二七万二、三九八円、慰藉料金一二〇万円、弁護士費用金三〇万円の合計金七一七万七、〇三三円から既に受領した強制保険金総額金五〇〇万円の三分の一たる金一六六万六、六六七円を差引いた金五五一万〇、三六六円、原告幸男、同美佐子、同雄二、同三郎はそれぞれ逸失利益相続分金二七〇万二、三一七円、慰藉料金七〇万円、弁護士費用金一五万円の合計金三五五万二、三一七円から既に受取つた強制保険金の各六分の一たる金八三万三、三三三円を差引いた金二七一万八、九八四円の各損害金および右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和四六年八月一八日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを、被告保険会社に対し、被告浅草モーターが原告らに賠償すべき損害額のうち保険金一、〇〇〇万円をもつて補填されるところの、原告らの受けた全損害のうち、原告チヨ子は金三三六万五、三九六円、原告幸男、同美佐子、同雄二、同三郎はそれぞれ金一六五万八、六五一円および右各金員に対する前記昭和四六年八月一八日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。
二 被告ら 請求原因に対する答弁
1 1の事実中、本件事故と輝吉の死亡との間の因果関係を否認し、その余の事実は認める。
2 2(一)の事実は認め、(二)のうち、被告浅草モーターが無資力であるとの事実は否認し、その余の事実は認める。
3 3のうち、(四)の事実は認めるが、その余の事実はすべて不知。
輝吉の就労可能年数については、一般例に従い六三才までみれば十分であるし、控除すべき生活費は、単純な生活費ではなく、再生産費用を意味するものであるから、月額一万六、〇〇〇円と見るのは少なすぎ、将来の逸失利益の算定について不確定要素の多いことを考え合せると収入額の五割相当額をみるべきである。また、賞与についても訴外会社のような小企業にあつては、あまりにも不確定要素が多いから、これを考慮しないか、あるいは原告ら主張額の五割相当額を考慮すれば十分である。
三 被告両名 反論と抗弁
1 本件事故と輝吉の死亡との間に因果関係はない。
(一) 亡輝吉は、本件事故による仙骨骨折の骨折片が後腹膜を破つて腹腔内に入り、その際、左下腹壁動静脈、左中仙骨動脈、右外側仙骨動脈を損傷し、かつ、左上臀動脈を一部損傷したために、内出血を生じ、失血死するに至つたものである。右受傷時に仙骨骨折はあり、内出血ははじまつてはいたが、その程度は軽微であつた。
(二) そして、右受傷直後、輝吉は松戸市立病院の診療を受け、かつ、入院を勧奨されながら、酩酊していたため、精密検査にも入院にも応じないで帰宅し、翌日再び来院し、その際、同病院では、これを診療し、輝吉が腰部、特に尻の極端な痛みを訴え、かつ、その臀部一面に紫藍色を呈した部位があつて、当然に骨折及び内出血を疑わしめる症状があつたのに、これを軽視して放置したために、内出血が進み、遂にショック状態を生じて失血死するに至つたのである。
(三) 一般に腰臀部を打撲された交通事故被害者が来院した場合、病院においては、腰椎、骨盤等の骨折、腹部臓器及び附属器の損傷、血管の損傷、特に血管損傷に因る内出血を想定し、脈、呼吸等の一般状態をみ、腰臀部のレントゲン撮影をなし、かつ、その程度によつては、末梢血液の検査、更には中心静脈圧の測定等を行い、入院による経過観察を行う必要がある。特に一二月一〇日に亡輝吉が来院したときには、前記のとおりの症状があつたので、この段階において、骨盤骨折や内出血の有無を精査したならば、これらは困難ながら発見され、輸液、輸血により循環血液量の補充を行うとともに、内出血の部位を発見するための試験開腹手術を行うことによつて、その死亡を防止し得る余地は十分あつたというべきである。
(四) 以上のように本来輝吉は、本件事故によつて通常死亡するものではないのに、輝吉の精密検査を受けなかつた過失と、松戸市立病院の軽卒な診療上の過誤によつてその死亡を招来したものであり、その死亡は本件事故との間に相当困果関係を欠くものというべきである。
2 過失相殺の抗弁
仮に本件事故と亡輝吉の死亡との間に相当因果関係が認められたとしても、亡輝吉には次のとおり過失があるから、損害算定にあたり六割を相殺すべきである。
(一) 事故についての過失
(1) 本件事故現場は、非市街地の、歩車道の区別のない幅員八メートル、中央にセンターラインが設けられた直線平坦で見通しのよいアスファルト舗装道路上であつて、当時の同所付近の交通量は夜間のため少く、歩行者はほとんどない状態であり、また加害車の進行方向から見て右側は住宅、左側は畑で、照明設備はなく暗い場所であり、本件道路は何らの交通規制もされていなかつた。
(2) 訴外丸岡は加害車を運転して、事故当時時速約五〇キロメートルで前照灯を上向きにし、進行中、前方約三〇メートルの左側に輝吉を発見したので、ハンドルをやや右に切り、その右側を通り抜けようとしたところ、突如、輝吉は斜め横断するように自車の前方二二メートルの地点に出て来たので、ブレーキをかけたが間に合わず、左前照灯付近を輝吉の尻の部分に衝突させ、これをボンネット上に乗せ、停車とともに自車直前に転倒させ、本件事故を発生させたものである。
(3) 一方輝吉は、飲酒酩酊してふらつき、後方からライトを上向きにした加害車が来るのに気付かず、その進路直前(道路左側端から2.9メートル、加害車の前方二二メートルの地点)に飛び出して本件事故に遭つたもので、その過失は大きく、少くとも全損害の四割相当額は相殺さるべきである。
(二) 損害拡大についての過失
輝吉は、前記のとおり、受傷直後に逃げ出したり暴れたりしており、松戸市立病院において受診中も暴れて、同病院が入院を勧めたにもかかわらず、これを断り、無理に帰宅して精密検査および経過観察を受ける機会を逸し、ために内出血が進み、失血死するに至つたもので、その死亡に至つたことにつき、輝吉自身に過失があり、少くとも全損害の二割相当額は相殺さるべきである。
3 弁済の抗弁
被告らは、原告らに対し、見舞金として一〇万円、香典として五万円を交付したが、これらは原告ら主張の損害賠償金に弁済充当さるべきであり、少くとも慰藉料の減額事由となるべきである。
四 原告ら右三の主張に対する答弁
1 1(一)の事実は認める。
同(二)のうち、輝吉が当日入院せずに帰宅し、翌日再び来院したこと、その時腰臀部の痛みを訴えていたこと、内出血の進行のためショック状態に陥り、死亡したことは認め、その余の事実は否認する。
同(三)、(四)の事実は争う。
後記のとおり、加害者は高速で進行中、輝吉に激しく衝突したもので、その衝撃は軽微なものではなく、輝吉の死を招く程度のものであるから、本件事故と輝吉の死亡とは相当因果関係があるものといわねばならない。
2 過失相殺の抗弁について。
(一) 2(一)(1)の事実は認める。
(二) 同(2)、(3)の事実は否認する。
本件事故は、道路を横断中の歩行者に対し、加害車がスピード違反(現場に残されたスリップ痕の長さ18.4メートルから計算すると加害車は六〇粁のスピードを出していたので制限速度を一〇粁超えている)および前方注視義務違反を犯したことにより発生したものである。即ち、現場は見とおしが良く、他車両の通行も殆んどなかつたのであるから、加害車の前照灯により、かなり前方から輝吉の姿が見えていた筈である。然るに訴外丸岡は残業で遅くなり、帰路を急いでいたために、衝突地点の少し先の交差点で自宅のある千駄堀方向に左折しようとそのことに気を奪われて、前方注視を怠り、輝吉を発見するのが遅れたのである。他方、本件現場付近は、歩車道の区別がなく、横断禁止の規制もなく、付近に横断歩道があつたわけでもないので、輝吉には該地点を横断することについて何ら過失はない。また、仮に輝吉がいくらか酔つていたとしても、歩行者の場合酔つて道路を歩いていたことが、そのまま過失につながるものではない。
(三) 同(二)の事実は否認する。
亡輝吉は、事故当日の治療後、自覚症状も少なかつたため、治療に当つた医師の指示と許可を得て病院の正面玄関から帰つたもので、同人には何ら過失はない。
以上のとおり、本件事故は総て訴外丸岡の一方的過失に基くものであり、亡輝吉には何らの過失もない。
3 3の事実は否認する。
第三 証拠<略>
理由
一(事故の発生、傷害と死亡の因果関係)
輝吉が原告ら主張の日時場所において、道路上を歩行中、訴外丸岡信昭運転の加害車に後方から追突され、仙骨骨折・肋骨骨折・頭部切創等の傷害を受けたこと、同人は、その骨折した仙骨骨折が左下腹壁動静脈・左中仙骨動脈・右外側仙骨動脈・左上臀動脈を各損傷し、後腹膜を破つて腹腔内に入つていたため、後腹膜腔内に出血し、原告ら主張の日時場所において失血により死亡したことは当事者間に争いがない。
まず、右傷害と死亡との間の因果関係について判断する。
<証拠>ならびに国立東京第二病院宛の鑑定嘱託の結果によれば、次の事実が認められる。
(一) 輝吉は受傷直後、救急車により松戸市立病院に連れて行かれ、同病院において外科医師小幡五郎の診療を受けたが、自ら頭部の痛みと悪心を、触診時に腰部・臀部の痛みを訴え、また頭頂部には骨膜まで達する長さ約一〇センチメートルの挫創もあつたが、その他の部位には表面上顕著な外傷が認められなかったので、同医師はとりあえず頭頂部の傷の縫合等の治療をしたうえ、頭部外傷による症状発現を慮り、同人に入院を勧めたが、医師嫌いであつた同人が入院を拒み帰宅するというので、同人宅も同病院から近いことであるし、おかしくなつたら何時でも来院するよう指示して帰宅を許した。
(二) 輝吉は、その後約1.5キロメートルを歩き、当夜午後一一時三〇分頃肩書地の原告宅に帰り、しばらくして訪れた警察官奥宮良治および丸岡信昭等と、寝転んでではあるが、元気に応待したものの、その約三〇分経た後から、腰部や下肢の痛みを強く訴えるようになり、翌一〇日午前八時頃には痛みのため動くこともできなくなり、同日午前中背負われて松戸市民病院を訪れるに至つた。
(三) 同病院の外科外来担当医師蜂巣裕は、来院後直ちに同人を診察し、頭部のほか、腰部臀部等を見て、臀部に変色し硬結の存する軟部組織内出血の所見を発見したが、腰部レントゲン写真によつても骨折等の異常は発見されず、また脈拍も緊張よく、貧血の症状も呈していなかつたことから、歩行障害は腰部等の打撲によるもので、ただ、頭部に上矢状洞静脈の損傷の疑いもあつたため、経過観察のため同人を入院させることとしたが同医師は以上の所見に基づき本件各打撲部位における内出血は既に止つており、腰部・大腿部・下腿部等の軟部組織への内出血は通常生命に影響を及ぼす程のことはないので、同人の傷害は、概ね一週間の入院加療で済む程度のものと判断し、血液検査等の特段の検査も、加療もしなかつた。
(四) ところが、輝吉は同日午後二時頃に至り、急に昏睡状態に陥り、午後三時頃には呼吸、脈拍が停止し、補液、心臓マッサージ、蘇生器等の使用等によるも、もはや施す術もなく死亡するに至つた。その間午後五時頃行なつた血液検査の結果により、同人の貧血状態が発見されたが、その程度は直接生命に影響を与える程のものでなかつた。
(五) 死亡後の解剖の結果によれば、同人には、左臀部に直径20ないし22.5センチメートルの、右下腿後面に直径五ないし六センチメートルの、左大腿部後面中央に手掌大の、また背部・左下腿後面等多くの部位にも、いずれも高度の皮下および筋肉内出血と筋挫滅を伴う打撲傷があり、このうち臀部の出血部に相応する仙骨の中央部が折れて転位し、それが後腹膜に胡桃大の穴をあけ、後腹膜下腔内に多量の凝血が存し、腹腔内に約一リットルの血液が貯留されていたほか、頭頂部には、前記挫創のほか、長さ2.5センチメートルの挫創があり、これらの周辺にも内部に血腫を形成する手掌大と鵞卵大の腫脹部位があり、頭蓋骨には骨折はなかつたが、大脳の左右前頭葉・小脳腹側後縁・左右側頭葉等にいずれも蚕豆大ないし鳩卵大のくも膜下出血があり、頸椎にも第五頸椎の骨折と第一頸椎の脱臼があり、さらに胸部には手掌大の表皮剥脱と皮下出血を伴う左第三ないし第五肋骨骨折があつた。また、そのような出血に伴ない、同人の臀、脾等の臓器は貧血状態に、肺臓は水腫状態にあり、心内の血液量は循環不全を窺わせるものがあつた。
(六) ところで、右仙骨骨折は、レントゲン写真上整形外科の専門医が見ても容易に発見し得ない性質のもので、仮に発見しても、この程度の骨折は、大出血の合併なく治癒する例が殆んどであり、治療措置としても、手術等をすることなく、通常安静治療に止まるものであつた。
以上の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、右認定事実によると、次のような事実が推認される。
(一) 右のような損傷のうち、大腿部・下腿部等の出血、肋骨および頸椎の各骨折、頭頂部の挫創、頭蓋内のくも膜下出血等はそれだけでは直ちに死因に結びつく程度のものではなく、仙骨骨折に基因する左下腹壁動静脈等の損傷による腹腔内等への出血が死因の直接の原因となつた。しかし、右出血も、損傷血管がさほど太いものではないことや、その部位からして、それほど急激な出血ではなかつた。
(二) 輝吉が歩いて帰宅したというだけで、骨折した骨片が前記諸血管に損傷を与え、腹腔に穴をあける蓋然性を否定し去ることはできないが、仙骨の周囲の血管は筋組織で囲まれ、容易なことでは損傷されず、また腹膜は接触した程度でもショックを起すような性質であることに鑑みると、この場合には、輝吉の高度のショック、昏睡ひいては死亡の結果が、前記歩行にかなり接着した時点に発現するべきであり、そのようなことのなかつた本件では、むしろ、腹腔内出血は事故直後からの徐々に始まり進行していたものである。
(三) 右腹腔内出血は徐々に始まつていたため、事故による損傷直後には発見不能であり、一〇日朝には発見の可能性を否定できないが、その内出血に気付いたにしても、本件出血の部位は腹腔内の前方より見て最も深い、細小の血管・神経が縦横に走る部分にあり、また出血点も多いため、その出血点のすべての発見も容易でなく、しかもその止血手術操作も、迅速、容易に行えるものではない。
(四) しかし、右腹膜内出血による症状は、さほど顕著な症状をみないまま一〇日午後に至り、その頃、腹部臓器や心・肺等への血管循環量が一定の値を割つてショック状態となり、急激に失血死したものである。
これによると、本件事故と輝吉の死亡との間には、単に条件関係があるだけでなく、相当因果関係があるものと認めるのが相当である。たしかに、輝吉において、受傷直後に勧められた入院を断り歩いて帰宅したため、骨折骨片が動いたりあるいはその間に新たに転んだりして、損傷部位が悪化ないし増加したりした可能性が全くないわけではないが、これを認めるに足りるだけの証拠はなく、かえつて前記した各血管および腹膜の損傷は本件事故の際生じたものと推認されることは前記のとおりである。また、輝吉が受傷直後から入院していれば、松戸市立病院において同人の症状の変化にいくぶん早く気付き得た可能性がないわけではなく、さらに一〇日朝に来院した際でも、同病院において詳細な諸検査を尽していれば、輝吉の貧血状態およびその原因となる腹腔内出血を発見し、亡輝吉が死亡するにまで至らなかつた蓋然性も全くないわけではないが、前記したように同人の症状の悪化は極めて突然に始まり、そしてその時点では殆んど手遅れの状態にあり、しかも検査したら判明したであろう貧血の状態も内出血を疑わねばならぬ程度のものであつたか否か明らかでなく、内出血を疑つても腹腔内出血を発見し、その止血手術が成功するか否かも断定し難い程のものであつたというのであるから、はたして病院側に診療上落度があるといえるか否か明らかでなく、仮にあると仮定しても、この程度のものは、本件事故の損傷のような場合には、通常予想される範囲内のものであつて、因果関係を否定できるものではないというべきである。とくに、交通事故受傷者の治療に当たり臨床医として重視するのは、第一に頭部の受傷であり、背腰部等のそれは通常生命への影響がないので、表面に顕著な創傷がなければ、治療上それほど重要視しないのが少なくないのであつて本件における病院側の治療方法は異例なことではなかつた。
二(責任の帰属、過失相殺)
(一) 被告浅草モーターが加害車を所有し業務上これを使用して自己のため運行の用に供していたものであることは当事者間に争いがないので、同被告は自賠法三条に基づき亡輝吉の死亡による損害を賠償しなければならない。
(二) そして、被告保険会社と被告浅草モーターとの間に、原告ら主張の日に、その主張の自動車対人賠償責任保険契約が締結されていたことは当事者間に争いがなく、しかも成立に争いのない甲第一六号証によれば、被告浅草モーターは資本金三〇〇万円の小企業であることが認められるから特段の反証のない限り、後記する被告浅草モーターにおいて負担しなければならない損害賠償額に照らすと、同被告は賠償資力があるとは認められず、してみると、原告らは民法四二三条により被告浅草モーターに代位して被告保険会社に対し前記契約に基く保険金の支払を求めることができるものである。
(三) ところで、被告らの抗弁2(一)の(1)の事実は当事者間に争いがなく、真正な成立に争いのない乙第五、第六、第一〇、第一三号証、証人奥宮良治、同丸岡信昭の各証言によれば訴外丸岡は加害車を時速六〇キロメートル前後の速度で運転し、八柱方面に向つて東進していたが、本件衝突現場の東方約三五メートル先の、北方からの歩車道の区別のない幅員四メートルの道路との丁字型交差点において左折するつもりでいたため、残業の疲れのため帰路を急いでいたこともあつて、左のウインカーを同交差点の約八〇メートル手前で点滅させはじめたが、前方注視不十分のまま漫然と進行し、前照灯を上向きにしているにも拘らず、本件衝突地点の概ね二五メートル手前に至つたとき、はじめて本件道路左端から横断を開始していた輝吉に気付き、わずかに右転把するとともに急制動の措置をとつたが間に合わず、道路左端から車体の左側車輪が2.2メートルの地点を滑走したが加害車の左前照灯付近を輝吉に衝突させ、さらに同人をボンネットの上にはね上げたうえ、同人を約一三メートル先の地点にはねとばしたこと、加害車には18.4メートルに及ぶスリップ痕があつたほか、衝突してからも6.2メートル進行して停止したこと、一方輝吉は、当時酒に酔い、八柱方面に向い道路左側を歩いていたが、本件現場付近において、北側から南側へ道路を横断しようと、加害車の方向に背を向ける格好で斜めに横断したことが認められ、以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。
これによると、輝吉も夜間道路を横断するにあたつては、走行してくる車両の有無およびその動静に注視し、その安全を確認してから横断を開始すべきところ、これを十分尽さなかつたことが推認されるから、これを斟酌すると、前記した本件損害のうち、加害者である被告浅草モーターで負担しなければならないのは略八〇パーセントに限るのが相当である。
なお、被告らは、輝吉に損害拡大に関しても過失があつた旨主張しているが、これを認めるに足る証拠はないことは前記一に述べたとおりである。
三(損害)
(一) 輝吉の死亡による損害は、弁護士費用を除き、次のとおりと評価される。
1 輝吉の逸失利益およびその相続
(1) <証拠>によれば、輝吉は、当時四八才であつて、健康で、仕事を休むことも殆んでなく、松戸市において、豆腐こんにやく等の製造販売を業とする、従業員二〇名程度の訴外会社(有限会社鈴木商店)に勤め、それらの製造販売・配達等に従事し、同社より、事故直前三ケ月を平均して月当り金八万六、五〇〇円の給与と毎年六月と一二月に少なくとも五万円の賞与を得るほか、同社所有の家屋を、相場以下の月金三、〇〇〇で貸与を受け、原告チヨ子、既に高校を卒業し就職して給与を得ていた二一才の原告幸男(ただし、大学在学中)と一八才の原告美佐子、中学校在学中の一五才の原告雄二、小学校在学中の一二才の原告三郎と同居し、右給与等をもつて原告らの養育にあたつていたこと、原告らの居住していた家屋の家賃は、輝吉死亡後通常相場の金一万〇、五〇〇円にあげられたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
そして、四八才の男子の平均余命は26.3年であることは公知の事実であり輝吉のような職種・収入・年令・家族構成のものが通常自己の生活費税金等としてその収入の三分の一程度の支出を余儀なくされることは容易に推認されるところであり、これと前記認定の事実によれば、輝吉は、本件事故に遭遇していなければ六五才になる昭和六二年七月まで、社宅としての実物支給分を含め毎月金九万四、〇〇〇円の給与と、年に六月と一二月に各金五万円を下らない賞与を得られ、それより自己の生活費等として三分の一を支出していたものと推認されるので、亡輝吉のこの点の逸失利益の昭和四六年八月一七日時の現価を、本判決言渡時までは単利(ホフマン式)でその後は複利(ライプニッツ式)で、年五分の割合による中間利息を控除して算定し、さらに前記した輝吉の過失を斟酌し、その二割を控除すれば、この点の損害のうち、被告らにおいて負担すべきは金七七一万〇、六七八円である。
(2) 前掲甲第四号証によれば、原告チヨ子が輝吉の妻、その余の原告らが同人の子であること、原告ら以外には相続人がいないことが認められ、これによると、右輝吉の請求し得べき逸失利益を、原告チヨ子において三分の一の金二五七万〇、二二六円、その余の原告らにおいて各六分の一の金一二八万五、一一三円宛、相続したこととなる。
2 原告らの損害
(1) <証拠>によれば、原告チヨ子は輝吉の死亡に伴い、葬儀、通夜、初七日、一〇〇日、一周忌等の法事を執り行ない、また墓地を購入し金五〇万円を超える支出をしたことが認められ、これに反する証拠はない。そして原告の年令、社会的地位、家族構成に鑑みさらに前記した輝吉の過失を斟酌すると、右支出のうち金二五万円は、本件事故と相当因果関係があり、かつ被告らにおいて負担すべき損害である。
(2) 前記したような輝吉の年齢、原告らの家族構成および輝吉の過失等本件事故態様に鑑みると、原告らが輝吉の死亡により受けた精神的損害は、原告チヨ子において金一〇〇万円、その余の原告らにおいて各金六〇万円をもつて慰藉されるべきである。
(二) 原告らが輝吉死亡に伴ない、加害車の加入する自賠責保険から賠償金五〇〇万円の支給を受けたこと、これがそれぞれの相続分に応じ原告らの損害に充当されたことは当事者間に争いがなく、そして証人丸岡信昭の証言および原告チヨ子本人尋問の結果によれば、この他被告浅草モーターおよび加害車の運転丸岡信昭は亡輝吉の葬儀に際し、香典として各金二万円を、また丸岡から葬儀費用の名目で金一〇万円を受け取つたことが認められこれに反する証拠はないが、これら弁済金員はその趣旨からして、原告チヨ子の損害に充当されたものと推認するのが相当である。
(三) <証拠>によれば、原告らは、被告浅草モーターが任意の弁済に応じなかつたため、昭和四六年六月末頃、その取立てのための訴の提起を仙台弁護士会所属弁護士である本件原告訴訟代理人に委任し、同弁護士会の報酬規定に基づき、同年七月一〇日頃その手数料として三〇万円を支払つたほか、第一審判決云渡日に成功報酬として金六〇万円を支払う旨約したことが認められ、これに反する証拠はない。
しかし、本件事案の難易度、審理の経過等の諸事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係がある弁護士費用の昭和四六年八月一七日時の現価は、被告チヨ子において金二〇万円、その余の原告らにおいて各金一〇万円とするのが相当である。
四(結論)
してみると、被告らは連帯して、原告チヨ子に対し金二二三万三、五五九円、その余の原告らに対し各金一一五万一、七八〇円およびこれらに対する本訴状の送達の日の翌日以降の日であることが本件記録上明らかな昭和四六年八月一八日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いをなすべき義務があるから、原告らの本訴請求を右限度で認容し、その余は棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。
(高山晨 田中康久 大津千明)